ドッホ断る

芸術とか音楽とか言いながら生活の苦悩も語るデザイナーの雑感

ミュシャは花と美女だけの人だと思っていました。

 

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アール・ヌーヴォーを代表する芸術家の一人、美しい女性像や流麗な植物文様など、華やかで洗練されたポスターや装飾パネルを手がける一方で、ミュシャは故郷チェコや自身のルーツであるスラヴ民族のアイデンティティをテーマにした作品を数多く描きました。その集大成が、50歳で故郷に戻り、晩年の約16年間を捧げた画家渾身の作品《スラヴ叙事詩》(1912-26年)です。およそ縦6メートル、横8メートルに及ぶ巨大なカンヴァスに描かれた20点の油彩画は、古代から近代に至るスラヴ民族の苦難と栄光の歴史を映し出す壮大なスペクタクルであると言えます。(ミュシャ展 要項より抜粋)

 

ミュシャといえば有機的な花模様と美女の横顔、妖艶でありながら神秘的な色合いのリトグラフでアール・ヌーボーを代表する画家、というよりポスターイラストレーター。

 

といった感じで記憶しておりましたアルフォンス・ミュシャ。

その全てが覆ったといった印象でした。

 

 

2017年3月8日(水)から6月5日(月)まで東京・六本木の新国立美術館にて開催しておりました「ミュシャ展」。終わったあとで書く記事では無いかもしれません。

観に行かなかった人は後悔すると思うほど良かったからです。

 

 

 

実はこの展覧会、話題性が先行していた印象であまり行く気になれませんでした。

ミュシャといえばリトグラフ。

版画がズラッと並んでるだけといったイメージしかしていませんでした。

 

しかし、よくよく聞くと最晩年に取り掛かっていた油彩画をメインに構成されているらしい。

 

と相変わらずアンテナの低い自分にはその程度の情報しか入って来ておらず、

 

近くに行ったら寄ろうかな。

 

と放置しておりました。

 

 

が、

 

 

終了間近なのを耳にし、駆け込みで行ったのが会期終了の1週間前。

 

その時点で昨年の若冲展を上回る入場者数と聞いて驚きましたが、入場した直後、その理由がわかりました。

 

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《スラヴ叙事詩》(1912-26年)より

 

でかい。

 

とてつもなくでかい。

 

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(一部写真撮影可能なゾーンも用意されていました。)

 

壁一面に現れた巨大油絵にまず圧倒されました。

見上げるほど大きい、後ずさりしなければ視界に全てを捉えることが出来ないくらいに大きくて美しい物がスペクタルに目に飛び込んできました。

 

 

その空間の贅沢さたるや。貧弱な私のボキャブラリーでは語る言葉を見つけることが出来ません。

 

こんなスケールの大きい絵画が展示室の大空間を埋め尽くしているのです。

 

 

そして、やはり見れば見るほど美しい。

 

展示用のスポットライトも相まって絵の主題を表している人物が実際に照らされている様に感じるほど現実との境界を失います。

 

浮かぶ神々の頭上には輝く星々。本当にキラキラと。

これは油絵というより平山郁夫氏の日本画のような砂粒感に近く、良質な鉱物を顔料に使っているとひと目で分かるほどです。(実際どうかはわかりませんが)

 

 

連作のストーリーを追うように配置されているのですが、一枚一枚から目が離せなくて全然進みません。どれだけ細部にこだわっているのかわからないほど全てのデッサンが狂いなく、また独特のパースに収められているので、見ていて本当に飽きないのです。

描き込みから作者の常軌を逸した用な情熱を感じざるを得ませんでした。

 

そして、観ているうちにふつふつと疑問が沸き上がってきます。

 

「なんでこんな大連作を十年以上に渡って描き続けられるのか」

 

この情熱はどこから?

 

 

その答えを知って、ますますミュシャという画家の偉大な足跡を感じ取ることが出来ました。

 

 

「誓って、残りの生涯を祖国の為に生きよう」ーアルフォンス・ミュシャ

 

ミュシャは遅咲きの画家でした。

 

オーストリア=ハンガリー帝国領モラヴィア(現チェコ)に生まれ、ウィーンやミュンヘンを経て、27歳でパリに渡り絵を学びます。が鳴かず飛ばず。

 

なかなか才能を発揮する機会に恵まれなかったミュシャは、34歳の時に、女優サラ・ベルナール主演の舞台「ジスモンダ」のポスターを手がけることになり、一夜にして成功をおさめます。

そして時代の寵児へ。

 

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(四つの花 1897年)

 

優美で装飾的な作風は多くの人を魅了しました。

 

 

パリで成功したミュシャは1904年に渡米。そこで多額の資金を調達し、50歳にして祖国チェコ(当時はオーストリア=ハンガリー帝国の支配下)へ帰国し、前述のスラブ叙事詩の制作に入ります。

 

自分のルーツであるスラブ民族が他国の支配下にあり、ゲルマン化政策によってアイデンティティを失っていることに感じ入るものが有ったのでしょう。現状を目の当たりにしたミュシャは「誓って、残りの生涯を祖国の為に生きよう」と全てをこの作品に捧げたのでした。

 

しかし、完成まで14年。

 

執筆中は高まっていた独立の気運も、成し遂げた後は弱まり。ミュシャの思いを込めた傑作「スラブ叙事詩」は当時の人々からは評価されず。ナチスの尋問を受けたミュシャはその後身体を壊し、静かに亡くなります。

 

 

そして幻の傑作へ

 

チェコ市民とプラハ市の為に描かれた連作は行き場を失い、ナチスによる破壊を恐れた

親族たちによってお城の地下にひっそりと保管されました。

 

 

その後ほとんどの人の目に触れることはありませんでしたが、2012年5月、ついにプラハ国立美術館ヴェレトゥルジュニー宮殿にて全作品が公開されることになりました。

 

完成から86年も後のことです。

 

そして、国交回復60周年の記念として、チェコ国外では世界ではじめて東京の六本木にてこの展覧会が開催されることとなったのです。

 

86年も眠っていたとは思えないほど色鮮やかな絵にこのような背景があったとは知りもしませんでした。本当に無知は罪です。

いや、知らなくて当然なほど近年になって公開されたものなのです。

 

 

この作品に相まみえた幸運をしっかり感謝しなければなりません。2012年より前には見ることすら叶わなかったわけですから。

 

 

 

ミュシャという人物に対して本当にすべてが覆るような、そんな展覧会でした。

生きてて良かったです。

 

 

 

 巨大絵画が展示される様子が映像で見れます。ミュシャ団かわいい!


スラヴ叙事詩展示風景

 

 

 

 

 

追伸

 当日行列がすごくて買えなかった図録がAmazonで買えるらしい。。

現物では拝めなかった細部まで見ることが出来ます。手元においておきたい一冊ですね。

ミュシャ展

ミュシャ展